- 2025年3月18日:投稿
点字と点字ブロックの誕生から現代まで、知っておきたい基本情報

みなさん、こんにちは。
就労継続支援A型事業所ONE STEP利用者のヒラヤマです。
一般社団法人 日本記念日協会によると、日本では、1年365日、何かしらの記念日になっています。
ちなみに、就労継続支援A型事業所 ONE STEP (ワンステップ)が開所した「11月1日」の記念日には、このようなものがあります。
MONOの日
由来は、MONOが「唯一の」「比類なき」という意味のギリシャ語「MONOS」が、「1つの」を意味することと、シンボルマークが青白黒の3本ラインであることから1が並ぶ11月1日に
ダーツの日
由来は、ダーツは3本の矢を1セットとして的に投げるスポーツであり、3本目がとても重要なことから数字の「1」を矢に見立てて「1」が3つ並ぶ11月1日としたもの
ラジオ体操の日
1928年11月1日の朝7時、東京中央放送局から、はじめてラジオ体操の放送が行われたことから
ソーセージの日
日本初のソーセージが世に出た歴史的な日が由来
紅茶の日
1791年(寛政3年)11月1日、大黒屋光太夫がロシアのエカテリーナ2世から茶会に招かれ、日本人として初めて外国での正式な茶会で紅茶を飲んだとされることが由来
それでは問題です。
Q.「3月18日」は何の日でしょうか?
答えは「点字ブロックの日」です。
世界で初めて点字ブロックが敷設されたのが、1967年3月18日なのに由来しています。
※ちなみに、3月18日は「精霊の日」「高校生パーラメンタリーディベートの日」でもあるようです。
今では歩道や駅のホームなど、至る所で目にする「点字ブロック」。
しかしながら、点字ブロックが普及するには、聞くも涙、語るも涙の物語がありました。
そこで当記事では、「点字」と「点字ブロック」の2つについて解説していきます。
それでは、いってみましょう!
【目次―もくじ―】
- 点字の歴史 ルイ・ブライユと石川倉次
- 点字の創始者 ルイ・ブライユ
- 日本点字の父 石川倉次
- 点字ブロック(正式名称:視覚障害者誘導用ブロック)について
- 点字ブロックの種類と特徴
- 進化する点字ブロック
- 点字ブロックの日をきっかけに、私たちにできることを考えよう
点字の歴史 ルイ・ブライユと石川倉次

点字の創始者 ルイ・ブライユ
今現在の「6個の点を組み合わせる点字」の仕組みを考えたのは、フランス人のルイ・ブライユです。
ルイ・ブライユの家には、職人の父が働く工房がありました。
3歳のとき、父親の仕事を真似しようとしたルイ・ブライユは、誤って鋭い刃物で目を突いてしまいます。さらに5歳のときには、炎症がもう片方の目にも移り、完全に失明してしまうことになります。
1821年、パリの王立盲学校に入学していた12歳のルイ・ブライユに、転機が訪れます。
軍人のシャルル・バルビエが発明した軍事用の文字が、王立盲学校に導入されることになります。
この文字は、元々、暗闇の中でも作戦を伝えられるようにと考案された暗号(12点式の点字)でした。
以前から使われていた「浮き出し文字」というものに比べれば利便性は格段に高かったものの、種類が多く難解なうえ、数字や音楽を表現できない問題を抱えていました。
そのため、「目が見えない人のための文字」というには、まだ不十分でした。
そこで、ルイ・ブライユは学校の授業の合間を縫って、クラスメートと議論しながら、軍事用の文字の改良のための実験と研究を重ねていきました。
そして1825年、6つの点から構成される点字方式を考案。
さらに4年後の1829年には、この点字方式の解説書を出版します。
遂に、ブライユ式点字が誕生します。
その後、卒業後もパリの盲学校に残ったルイ・ブライユはさらに改良を重ねて、1837年、ブライユ点字を完成させたと伝えられています。
日本点字の父 石川倉次

石川倉次は、安政六年(1859)に浜松藩士の長男として、静岡県浜松市に生まれました。
幼少期より成績優秀だった石川倉次は、1875年、鶴舞小学校卒業と同時に、同校の助教として採用されることになります。
明治8年(1875年)には、千葉師範学校教員検定試験に合格。
以後、千葉県内で小学校教員を歴任していきます。
明治14年(1881年)には、「久野さの」と結婚。翌年には長男が生まれます。
この頃から、石倉倉次は、国語や国字に関心を持ち始めるようになり、国語研究のために「かなのくゎい」に入会します。
明治17年(1884年)、東京虎ノ門で開催された「かなのくゎい」にて、のちに師と仰ぐ小西信八と出会います。
明治19年(1886)、小西新八からの三顧の礼の要請を受け、石倉倉次は楽善会訓盲唖院へ赴任します。 同じ頃、ブライユ式点字を日本の仮名に翻案するように研究も依頼されます。
それから、東京盲唖学校の教員や生徒の協力も得ながら、石川倉次はブライユ式点字を参考にしつつ、日本語に翻案する作業を進めていきます。
そして石川倉次は「3点2行の6点点字」を考案します。
明治23年(1890年)、多くの点字研究者による研究から日本点字を決定するための第一回点字選考会が開催されます。
同年、第4回選定会にて、3つの候補のなかから、石川倉次の案が正式に採用されることになりました。
このことにちなんで、11月1日が「点字制定記念日」に登録されています。
石川倉次が行ったのは、点字の翻訳だけではありません。
点字を表記するための機器の開発にも取り組んできます。
1898年(明治31年)には「懐中点字器」、1904年(明治37年)には点字タイプライターである「イシカハ・タイプライター」を開発しています。
石川倉次の考案した日本点字は、明治36年(1903年)のパリ万博にも出展され、多くの賞賛を浴びました。
明治42年(1909年)、石川倉次の『日本訓盲展示説明』が、文科省にて出版。
これによって、日本点字の決定がなされることになりました。
点字ブロック(正式名称:視覚障害者誘導用ブロック)について

前述の通り、「点字の創始者はルイ・ブライユ」、「日本点字の父は石川倉次」です。
では、点字ブロックを発案・発明したのは誰なのでしょうか?
それは、岡山県倉敷市出身の発明家 三宅精一さん(当時は旅館経営者、のちの安全交通試験研究センターの初代理事長)です。
愛犬家でもあった三宅氏は、当時、日本では珍しかったセントバーナード犬を飼っていました。
その縁で、同じく犬好きだった岩橋英行さん(視覚障害者団体「日本ライトハウス」の理事長)と交流、障害への理解を深めていくことになります。
1961年頃、三宅精一さんは、とある光景を目撃します。
車道を横断しようとしていた視覚障害者(白い杖を持った盲人)の横を、車が勢いよく走り抜けていったのです。
それから「視覚障害者に危険箇所と安全地帯を知らせるにはどうしたらよいのか」について、考えるようになります。
1963〜1964年頃、発想の連鎖から「点字ブロック」構想に至ります。
それから試行錯誤を重ねた結果、「半球状突起(ドーム型)の7×7=49個の並列型」に決定。
その外見から点字をイメージすること、また、社会へのアピールのしやすさから「点字ブロック」と名付けられました。
そして1967年、岡山県立岡山盲学校に近い国道250号原尾島交差点近く(現:岡山県岡山市中区)に世界で初めて点字ブロックが敷設されました。
昭和42(1967年)、岩橋英行さんによって世界盲人福祉協議会で紹介された点字ブロックは、各国の専門家から大きな注目を集めます。
多くの方々からの意見や賞賛の言葉もあり、世界からの評価を得た点字ブロック。
ところが、現実は甘くありませんでした。
全国の福祉事務所や関係省庁に点字ブロックのPR資料を送付したりしたものの、注文はおろか、問い合わせすらなかったのだそうです。
このとき、点字ブロック考案から既に6年。
「もう止めようか、そろそろ資金も底をついたで」
弱気になってしまうときもあったそうです。
昭和45年(1970年)、点字ブロックに転機が訪れます。
大阪府立盲学校の教職員が、点字の陳情書にて、国鉄(現JR)に点字ブロックの敷設を要望します。
この要望に国鉄(現JR)が応じて、阪和線「我孫子町」駅プラットホームに点字ブロックが敷設されます。これがプラットホームの点字ブロック第1号でした。
同年、東京都道路局安全施策課が、点字ブロックの採用を決定。
東京都が先陣を切ったことにより、地方都市へと波及していきます。
また、この頃から、点字ブロックの改良が行われました。
- 形状:「7×7=49個の並列型」から「6️×6=36個(ドーム型並列)」に変更
- 色:弱視者に道路との見分けがしやすいように、セメント色から黄色へと変更
岡山市の交差点に日本初の点字ブロックが敷設されてから34年後の2001年9月20日、日本工業規格(JIS)として経済産業大臣により制定(2012年には、点字ブロックの国際規格が日本のJISをもとに制定)。
そして2010年(平成22年)、世界で初めて点字ブロックが設置された岡山市中区原尾島交差点に「点字ブロック発祥の地モニュメント」を建立。
同時に、世界で初めて点字ブロックが敷設された3月18日が「点字ブロックの日」として制定されました。
現在、日本発祥の点字ブロックは、世界150カ国以上に普及しているそうです。
点字ブロックの種類と特徴

実は、点字ブロックには「誘導ブロック」と「警告ブロック」の2種類があります。
①誘導ブロック(線状ブロック)
「誘導ブロック」は、進行方向を示すブロックのことです。
細い線状の突起が平行に並んだ形状をしているので、「線状ブロック」 とも呼ばれています。
足の裏、または白杖で、突起の方向を確かめながら進みます。
②警告ブロック(点状ブロック)
「警告ブロック」とは、点が並んだブロックのことです。
階段や横断歩道の手前、案内板、バス停の前、駅のホームの端、誘導ブロックが交差するポイントなどに設置されています。
JIS規格では、「ブロックの大きさは30cm四方以上・点状突起の数は5個×5列の25個以上」とされています。
進化する点字ブロック

視覚障害者の移動をサポートする点字ブロックにも、もちろん技術の進歩があります。
そのなかでも代表的なものを、いくつかご紹介します。
VIBLO by &HAND
概要
VIBLO by &HANDは、以下の4つのシステムを活用して、視覚障害者の移動を「声」でサポートするシステムです。
- 点字ブロックに発信機を内蔵した「VIBLO BLOCK(ヴィブロ・ブロック)」
- スマートスピーカー「Clova」
- 「LINEアプリ」
- ワイヤレスオープンイヤーステレオヘッドセット「Xperia Ear Duo」
利用方法
- 「Clova」で「VIBLOでお出かけ」を立ち上げ、目的地を設定します
- 目的地へのルート上にある「VIBLO BLOCK」が設定されます
- 「Xperia Ear Duo」を耳に装着。スマホを持って外出する
- 「VIBLO BLOCK」に近づくと、スポット情報がLINEに届きます
- LINEに届いたスポット情報を「Xperia Ear Duo」で読み上げて、確認
- 目的地に到着したら、「Clova」でお知らせ
WAVEE+(薄型ソーラーパワー型ビーコン内蔵点字ブロック)
WAVEE+は、点字ブロックに内蔵された「ソーラー発電型のBLE(Bluetooth® Low Energy)」が、スマホに位置情報をプッシュ通知で知らせてくれるシステムです。
「北口改札付近です」「1番線ホームです」「エスカレーター前です」といった情報をハンズフリーで知ることができます。
特徴としては、以下のようなものがあります。
- 電源不要の世界初のソーラー発電型のビーコンを内蔵
- 二次電池を搭載
- 点字ブロックが位置情報をプッシュ通知
- ハンズフリーで使用可能
- 交換・貼り替えが楽々
shikAI
shikAIは、点字ブロックとQRコードを組み合わせて使用する、視覚障害者向けの音声ガイドを提供するアプリです。(App Store)
点字ブロックの上にあるQRコードをスマホのカメラで読み取ることで、駅構内での移動ルートを算出、現在地から目的地までを案内してくれる仕様になっています。
点字ブロックの底面にQRコードを収納することで、踏まれて消えたりすることがないように工夫されています。
2017年3月に実証実験が行われ、現在では大手町駅や明治神宮前駅などを含む13駅で導入されています。
- 銀座線:外苑前駅、溜池山王駅
- 丸ノ内線:四ツ谷駅、国会議事堂前駅、大手町駅
- 東西線:大手町駅
- 千代田線:明治神宮前〈原宿〉駅、国会議事堂前駅、大手町駅
- 有楽町線:東池袋駅、護国寺駅、豊洲駅、辰巳駅、新木場駅
- 半蔵門線:大手町駅
- 南北線:溜池山王駅、四ツ谷駅
- 副都心線:西早稲田駅、北参道駅、明治神宮前〈原宿〉駅
shikAIでは、以下のような情報を提供してくれます。
- 右側5メートル先、改札機があります
- 左側1メートル先、券売機があります
- 列車のドアの前に到着しました
- 右側3メートル先、エスカレーターがあります
- 右側5メートル先に進んでください
点字ブロックの日をきっかけに、私たちにできることを考えよう

いかがだったでしょうか。
歴史を知り、そして未来を知ることで、普段見慣れている点字や点字ブロックへの見方がこれまでとは変わったのではないでしょうか?
横断歩道の赤信号で止まったり、駅のホームで待っていたりするとき、たまには視線を落として点字ブロックを見て、思いを馳せてみるのも良いかもしれませんよ?
参考URL
- 点字ブロックについて │ 社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合
- 発明から55年、点字ブロックは岡山で生まれた │ 産経新聞
- 石川倉次 │ 市原歴史博物館
- 財団の歩み │ 一般財団法人 安全交通試験研究センター
- 発信機内蔵のハイテク点字ブロックが登場!道から飲食店まで案内!? │ パラサポWEB
- 点字ブロックをスマートスピーカーやLINEと連携させ視覚障害者の外出を「声」で支援する「VIBLO by &HAND」を共同開発 │ PR TIMES
- WAVEEt+ 視覚障がい者を安全に誘導、位置情報をプッシュ通知で知らせる、「薄型ソーラーパワー型ビーコン内蔵点字ブロック」 │ ACCESS
- なぜ点字ブロックにQRコード? 「shikAI」が変える視覚障がい者の移動の未来 │ SPECTRUM TOKYO