うつ病やADHDを理解するために
みなさん、こんにちは。
就労継続支援A型事業所ONE STEP利用者のヒラヤマです。
今回の記事は、『うつ病・ADHD(注意欠陥・多動性障害)』と診断されたAさんのインタビューをまとめたものになっています。
ONE STEPでは、ゲーム実況の動画をYou Tubeで投稿しているのですが、それがきっかけで今回のインタビューが実現することになりました。
インタビューを承諾してくださったAさんに、この場を借りて、再度感謝を述べたいと思います。本当にありがとうございます。
当事者の語る言葉を通じて、うつ病やADHD(注意欠陥・多動性障害)のことについて少しでも理解を深めていただければと思います。
ホームページに足を運んでくださった方にとって、少しでも有益になれば幸いです。
それでは、行ってみましょう!
Aさんとサービス管理責任者さんとのインタビュー
インタビューに至った経緯やその反応など
それじゃ、まずはこれからいきましょう。
You TubeのONE STEPゲーム部で、病気のことを語ったじゃないですか。これは、どんな心境だったんですか?
きっかけがあれば、聞かせてください。
もともとONE STEPに来る前からYou Tubeで動画投稿をしていたので、ネタになればと思い、話してみました。
あと、ここに通ってるみんなも似たり寄ったりの症状を持ってると思ったので、笑われることはないだろうというのもありましたね。
障害のことを話してみて、心境の変化はありましたか?
話してからの心境に特に変化はないです。
まあ、話して逆にスッキリした部分っていうのも有るのかな?
なるほど。では、病気のこと、障害のことを話したあとの周囲の反応ってなにかありましたか?
特に『これが変わったよ!』ってことはないですね。
変化は感じられません。変化が感じられるくらいチャンネルが広まってくれれば、それは感じられるでしょう。(笑)
確かに(笑) 登録者がまだまだ数少ないですからね。
Aさんのこれまで
次は、Aさんの幼少期について聞いていきたいと思います。
順序よく話していくと、赤ちゃんから5歳児くらいまでは活発だったと思ってます。
でも、そのときからKYというか、空気を読まないので、何でも口に出してしまって、意図せず相手を傷つけていたんじゃないかなぁ、と思います。
小学校もそのままだったので高学年から、からかわれだしたりしました。
で、中学時代には、いじめとかにもあっちゃってですね。それもあって、余計に発言しないとか、我慢しちゃうって方向に走っていったと思います。
高校時代は、クラスでは根暗とか、空気のような存在だったと思います。ほとんど話さないので。
Aさんがですか? なんか意外ですね。
ある一定の友達とは喋るんですけど、クラスメイトとはほとんど喋らない、っていった感じですね。
大学も行ったんですけど、大学からはまあ、そんなこともなく普通に喋るような機会が増えていったんじゃないかなぁと認識しています。
ちなみになんですが、自分と他者との違和感に気づいたりというのはありましたか?
気づいたのは小学生のころぐらいですかね。
だいたい11〜12歳のときくらいです。
結構、高学年ですね。
じゃあ次なんですが、障害(ADHD)があることで生きづらく感じるときってありますか?
基本この相槌に徹してしまうので、話さないことが多くなります。なので自分の意見が言えなくなってしまうことですかね。
「相手に合わせていれば大丈夫」と我慢が多くなってしまうことも覚えちゃいました。
僕の見かけがもう少し障害っぽくなれば、みんなも理解してくれたと思うんですけど、見た目が普通なので、変な奴だなあと思われてると思います。
発達障害は分かりずらいですからね。
周りからの理解は得られていますか?
友達からはほとんど得られてなかったと思います。
まあ、親も分かってなかったんで、まあこういうのがこいつなんだなぁーと認識されていたと思います。
友人に関しては、今もですか?
そうですね、そんな感じだと思います。
そうなんですね。
次なんですけれども、自分なりの対処法って、なにかありますか?
自分からは話しかけないとか。相手の相槌に徹するとか。そういうふうにちょっと誤魔化してました。
ただ若干、そういうの、今もありますよね。
そうですね、それはあります。
では、同じ障害(ADHD)の方へのアドバイスなど、なにかありますか?
理解してくれる人と仲良くしてほしいですね。
無理してまで他の人と、気に入られようとしなくてもいいと思います。
理解してくれる人は必ずいるので、諦めないでほしいと思います。
確かに。そうですよね。
無理してると、なんか生き苦しくなっちゃいますよね。
過去に経験してきたお仕事
これまでにやってきたお仕事を聞いてもいいですか?
はい、大丈夫ですよ。
介護職だったり、整骨院で働いたり、車の洗車だったりと。まあ、ほとんど介護の仕事が多かったですね、転々としちゃうんですけど。
比率的には介護の仕事が多かったです。それで、介護で鬱になることが多くて、いつも頑張っちゃうんですよ。で、いっぱいいっぱいなのに、仕事また頑張ろうとして我慢し続けて爆発して辞めるの繰り返しがほとんどでしたね。
うーん。介護、きついですからね。
そうですね。
うつ病について
僕、凄く気になっていることがあるんですけど、うつ病になったきっかけ、教えてほしいなと思っているんですが、いいですか?
はい。まあ、さきほどもちょっと喋ったので被ってるんですけど、介護職のときに頑張りすぎちゃうんですよ、今もそうなんですけど。
『みんなの分まで頑張らねば』という変な気合が入ってしまって、頑張り過ぎちゃうんですよ。
自分がいっぱいいっぱいになるまで頑張って、我慢して、それが『もう無理』ってなって爆発して、それで辞めちゃうっていう。
このサイクルが、なんか繰り返してしまうっていう感じですね。
その『いっぱいいっぱいだー』ってときがうつ症状マックスですね。
これは『職場環境で』ってことですかね?
そうですね、職場環境というより対人関係もあるかもしれないです。
対人関係が良好だったら、結構いっぱいいっぱいになるまで時間がかかるんですけど、対人関係が不味いとすぐいっぱいいっぱいになっちゃいますね。
例えばなのですが、対象が職員なのか、それともお年寄りなのか、というところですけど。
職員の方がおっきいかもしれないです。
やっぱり気が合う人が一人二人ぐらい居ないと、結構しんどいですね。やっぱ何も話せない。
発散する場がないという状況になってしまうので。
確かに。それはキツいですね。
それでは、病院に行ったきっかけ。
あと診断されたときの気持ち、聞いてもいいですか?
心療内科に通っているんですけども、心療内科に行きだしたのは鬱が最初なんですよ、実は。
で、「うつだけじゃないよ」って妻に言われ、まあ先生に話をしたら「ADHD(注意欠陥・多動症)も入ってるんじゃないか」と言われました。
まあ、そのときはね、なんかスッキリしたっていうのが本音です。
ショックとかガッカリとかは、まあなかったですね。
分かりました。
今度は、うつ病になる前と後で考え方って変化ありましたか?
うつ病になる前は、まあ、これもちょっと前に出てるんですけど、偏屈で、かなり頭が硬かったんですよ。
人の話を聞いてるふりしてあんまり聞いてないっていうパターンが多かったかな、って思います。なんていうんですか、芯の部分では変わってないみたいな。そういう部分があったと思うんですけど。
うつ病になったあと…まあ、偏屈は変わらず、あまり考え方も変わらんかったんですけど、なぜ僕がこう今明るく喋れるかっていうと、sorae(ソラエ)*さんっていうところがあって、そこで色々相談に乗ってもらって、今みたいにこう、思いの丈をぶちまけたことによって、なんか少し楽になったかな、って。
そこから、なんか色々と喋れるようになった感じですかね。
なので鬱になる前と後では、そんなに変わりません。
sorae(ソラエ)*さんに行ったか、行ってないか、この前後で変わったかな、っていうのが正直な感想ですね。
※sorae(ソラエ)さんは、ニート、ひきこもり、不登校など、社会生活を円滑に営む上で困難を有する子ども・若者(0歳からおおむね39歳以下)を支援するための沖縄県の相談窓口のことです。
通院のことについて聞きたいんですが、どんな感じで通院されていますか?
月に一回ですね。
自分だけで行くときもあるんですけど、そういうときは自分でできる限り伝えています。
だけど、やっぱり僕だけでは不十分な場合もあるので、妻が休みのときには着いてきてもらって、自分が気づけていない部分は、その主治医医の先生に、妻が伝えてくれています。
奥様との出会いや奥様のご両親との関係性
そういうやり方もありますね。
その奥様との出会いを聞いてもいいですか?
はい、普通に飲み会で知り合いました。
ぶっちゃけて言うと、この人と結婚するかなぁとは正直思ってなかったです。
そうなんですね。じゃあ、もっと聞きたいんですが、結婚を決断したときは?
なんとなくですね。理由がないんですよ。
妻が県外の人で、その県外に行ったときに相手のご両親に「いつ結婚するの?」と言われたので、『まあ結婚してもいいかな』と、あっさり思っちゃいました。
相手のプッシュがあったんですね。奥様のご両親との関係はどうですか?
そうですね。ご両親とは結婚前から現在に至るまで凄く仲良くしてくださっているので、まあ関係は良好な方じゃないかなぁとは思っています。
Aさんとご自身のご両親との関係性
良かったです。
次なんですが、今度はAさんとご自身のご両親との関係を聞きたいな、と思います。
簡単に言うとあんまり良好ではありません。両親は自分が30歳のときに離婚しました。
母とは連絡を取ったり会ったりしてるんですけど、父親とは連絡ほとんどしませんでした。
去年、父親の親戚から連絡があって、父の状態があまり良くないと連絡があり、それ以来、最近はたまーに顔を見に行く程度ですかね。
自分の特性や鬱の件は両親、どちらとも知りません。
えっ、知らないんですか?(驚愕)
知りません。
奥様のご両親は知ってますか?
奥さんのご両親は知ってます。
なのに、自分のご両親は知らないという……。
はい、それを伝えると、ちょっとめんどくさいことになりそうなので、ちょっとやめてます。
ちょっと理解が薄いというか、まあ、父親の方も認知気味になってきたので『伝えても覚えてるのかなぁ?』とか。
結構、ご高齢なんですか?
いや、70とかですよ、70後半。
母親も70中盤くらいなので。
特にとっても高齢というわけではないんですけど。
そうなんですね。分かりました、ありがとうございます。
将来の夢と過去に熱中していたこと
じゃあ、ちょっと話ずれまして、将来の夢はありますか?
今、僕はSNS系の仕事をやっていて、インスタグラム、ツイッター、両方とも1,000人を超えているので、あとYou Tubeを1,000人、取り敢えず行かせたいと思います。
それを目標にしつつ、まあ、家族と平和に暮らせればなあというのが夢です。
うん、いいですね〜。
今将来のことを聞いたので、今度は過去のこと聞きたいと思います。
過去、どんなことに熱中していましたか?
主に熱中していたのはフットサルですね。
二十歳のとき、まあ大学の時から始めたんですけど、35まで続けていたので楽しかったですね。
それで人間関係もちょっと築けたっていう部分もあって。
上手くはなかったんですけども楽しく出来ていたのかな、と思います。
就職先を一般雇用から就労継続支援に変えるまでの心境の変化など
就労継続支援(事業所)を知ったきっかけはなんですか?
妻が介護職に就いているので、就労継続支援のこと自体は、知ってはいました。でも、当時は一般就労で頑張ろうと思っていたので、選択肢にはなかったですね。
ただ、仕事に就いても、頑張りすぎて、いっぱいいっぱいになるまで我慢して、それが爆発して辞めてしまうという悪いサイクルを繰り返していたこともあって……。
それで、嫁から「就労支援で頑張ってみたら?」と言われたことがきっかけですね。
そうだったんですね。
では、様々な就労継続支援事業所があるなかで、ONE STEP入社を決めた理由はなんですか?
自分の得意なことができる、と思ったのが一番です。
他の作業所さんだと、何かの梱包作業だとか、清掃とかになってしまうので。まあ、できなくはないですけど、やっぱちょっと違うよな、と。
それで、色々探してたら、このONE STEPさんが見つかったので、『おっ、行ってみよう』と思いました。
いいですね〜
あと応募するときなんですけど、僕が応募したときはまだ人数が、ほんと一桁ぐらいだったので、変な先輩とか変なしがらみもないだろうと思ったのもデカかったと思います。
あ〜、たしかに。職員も考え方も柔らかいところですしね。
そうですね。そう感じたので、それもあります。
なるほど。では、ONE STEPに入る前と後でなにか変わりました?
通う前はですね、かなり結構偏屈だったんすよ。
スタートが「どうせ」とか、「だって」とか、後ろ向きな言葉が多かったんですよね。
我慢は当たり前。そんな感じでした。
それは、ちょっと生き辛いですね。
だいぶですね。
じゃあ、ここに通うようになって少しはマシになったって感じですか?
そうですね、通うようになってから「どうせ」とか「だって」とかの後ろめたいのはだいぶ減ったかと思います。
我慢は適度にできるようになったかな、適切にできるようになったかな、と思います。
病気/障害の方がより暮らしやすい社会のために
いかがだったでしょうか?
Aさんがうつ病やご自身の障害(ADHD)について、踏み込んで話してくれたおかげで、とても価値が高いインタビューになったと思います。
厚労省によると、うつ病は100人に約6人がかかる病気だと発表されています。また、りたりこでは、ADHD(注意欠陥・多動性障害)は、子どもの20人に1人/成人の40人に1人が生じるといわれています。
この数字を見ていただければ分かると思いますが、どちらも決して珍しい病気/障害ではありません。
だからこそ、見て見ぬ振りをしたり、排除したりするのではなく、一緒に共生していく――そのためにも、当事者の声を知ることは大事だと思います。
今回の記事の執筆者は、就労継続支援A型事業所ONE STEP(ワンステップ)のヒラヤマでした。